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2018年01月23日

【極み職人vo.3】主役を引き立てる額縁の職人は “博多をも引き立てる匠だった”

原武(さくらもち制作部)

原武(さくらもち制作部)

こんにちは、さくらの森の原武です。

今回ご紹介させていただく職人さんは

主役を引き立てる額縁の職人は “博多をも引き立てる匠だった”

タテイシ額縁店

立石武泰さん(Takeyasu Tateishi)

 

博多町家に

博多駅前の一角を東側に一歩入ると、洗練されたビジネスビル群から一変して、昔ながらの博多の街並みがその姿を表す。「博多町家」と呼ばれるものだ。元寇の時代に街の防御のためになされたこの町割りは、全国でも屈指の歴史を持つ。

 今回お訪ねしたタテイシ額縁店さんも、そんな一角にあった。築百十年になる木造の建物に足を踏み入れると、思わず柱や建具に目がいってしまうほど素敵だ。

 そこに今回の極み職人、タテイシ額縁店三代目の立石武泰さんが笑顔で迎えてくださった。スーツ姿の紳士は、私のイメージしていた「職人さん」像を見事に壊してくれ、博多の町のこと、この建物のこと、そして額縁の魅力を惜しみ無くお話してくださった。

  

 

空気を売るようなもの 

もともとこの辺りは海に隣接した場所。立石家も武泰さんの祖父が子供の頃までは網元だったそうだ。埋め立てなどで海岸線から離れてくると、重箱などの木工をするようになり、その流れで大正時代には額縁屋となった。

 額縁屋といっても量販店で写真フレームを売るのとはわけが違う。お客様が持ち込まれた思い出の品を、その品物が引き立つように額装するのだ。つまりオーダーメイド。立石さんはそれを「揺り籠から墓場まで入れます」と表現した。

 しかしどんな額装をするかは、お客様の意向をこちらがどう捉えるかにかかっている。作り手の感性が問われるところだ。「下手すると空気を売るようなもんです」と立石さんは笑った。

町ごと博物館に

「今で言うコンビニのように二十四時間オープンというか、急ぎのお客様が戸を叩けば、何時だろうが起きて出てくる、それが博多商人だったんです。それが昭和三十年代に諸事情で夕方五時には閉めるようになり博多は衰退していったんです。だから職住分離というのは間違いですね」そう立石さんは語った。

 確かに昭和後期には、「商業の中心は天神、ビジネス街は博多※」という様相になっていた。今でこそ博多駅周辺にも素敵な商業施設が立ち並ぶが、一時期の寂しさを立石さんは憂えているようだ。

 そこで立石さんは、博多地区の歴史にもっと興味を持ってもらおうと、あるプロジェクトに取り組み始めた。

それが、「電柱歴史案内二千本プロジェクト」というもの。それぞれの家に口伝された話などを、電柱看板よろしく貼り(右ページ左下写真)、博多の街自体を博物館に見立てたものだ。読んでみると、市内在住の者でも案外知らないことが多いことに気づく。立派な建物を建てずに、歩きながら博多の街を知ってもらいたいというものだ。

 これにも立石さんがお話ししてくださったことが頭によぎる。「博多商人は儲かっても、大きな自社ビルを建てたりしないんです。そうすると途端に衰退して行くケースが多いでしょ?博多の人は昔っからそれを知っていたんですね」と。ちょっと耳の痛い話だったが、気を引き締めよということだと受け止めた。商売人としての人当たりの良さもありながら、厳しさも見た瞬間だ。

四代目の試み

 後継者に苦労していないという立石家。四代目である息子さんが中心に、面白い取り組みをしている。何気ない風景を額縁で切り取り、写真投稿サイトに載せる「ガクスナ」というもの。

 右ページ中段のように、普段見慣れた場所(立石家坪庭)でも、額縁を通してみると全く違うものに見えて来るから不思議だ。こちらも「#ガクスナ」と検索すると、その様子がご覧になれるので、皆さんも参考にしてインスタなどをよりお楽しみいただきたい。

 今回は、普段あまり気にしていない額縁の世界に触れた、貴重な機会だった。

 

タテイシ額縁店

〒812-0033
福岡県福岡市博多区大博町4-32

TEL
092-281-4008

ハカタ・リバイバル・プラhttp://www.hakata8museum.com/hrp/about_us.html

原武(さくらもち制作部)

この記事を書いた人

原武(さくらもち制作部)

さくらの森の会報誌「さくらもち」の企画編集、執筆、写真を担当。

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